004:マルボロ-------------君のにおいのマルボロを、握りつぶして、それから泣いて、口付けた。
鼻先を掠める、煙草の香り。
机の上に投げ出された煙草。君の愛用のライター。
「ちっともおいしくないじゃない」
頭の中を掠めた、君の言葉に、声に出して反論してみた。
においがつくから嫌い、と言った私に、
『俺のにおいがついていいっしょ?』
なんて、馬鹿みたいに笑って言った。
ライターをつける瞬間が好きだった。いつもカチカチふたを鳴らしていた。
火をつけた煙草の灯りが、辺りを少しだけ照らすのが好きだった。手を揺らして、光の残像を作っていた。
煙草の先から立ち上る紫煙を眺めてるのが好きだった。飽きもせずずっと見ていた。
煙草のにおいがついた服が好きだった。あえて洗濯物の傍で吸ってみたりしていた。
莫迦みたい。そんなことしなくても、部屋にもうにおいが染み付いてるから、放っておけば移ってしまうのに。
だってほら、私の服に、ひとつ残らず煙草のにおい。
あんまりおいしそうに吸うから、いつも強く言えなくて。
やめて、っていえば、もしかしたらやめてくれたんだろうか。
でも。
本当は、嫌いじゃなかった。
ライターをつける瞬間も。
煙草の灯りが辺りを少しだけ照らすのも。
立ち上る紫煙を眺めてるのも。
君が好きだったものは、みんなみんな好きだったよ。
君がおいていった煙草を、君のいない部屋で吸ってみた。
きつい煙は、すぐには馴染まなくて、私はひどく咳き込んだ。
生理的に涙がこぼれた。すぐにそれは溢れ出して、とまらなくなる。
『煙草うまいって!わかんねーかなぁ、このうまさ!』
「わかるわけないっての。バカ」
震えた声で文句を言って、ライターをつける。辺りが少しだけ照らされる。立ち上る紫煙。
みんなみんな好きだけど。
『俺のにおいがついていいっしょ?』
煙草のにおいのついた服だけはやっぱり好きになれない。
もういない君を思い出すから。
煙草の箱を握りつぶした。耳障りな悲鳴を上げて、箱はきれいにひしゃげてしまう。
赤と白のパッケージは、君が好きだったもの。
すっかり歪んだそのケースに、私はゆっくりと口付けた。
また、涙がこぼれてくる。
君がもう決して戻っては来ないと知ったあのときから、なぜだろう、どうしても動けないんだ。
こらえ切れなくて、しゃくりあげて、服に顔をうずめた。
薄いセーターの袖に顔を押し付けて泣いた。
私の服の袖からは、やっぱりマルボロのにおいがした。
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君のにおい。マルボロの香り。だから私は煙草が嫌い。