横 断 歩 道
俺はそのとき、別に意味もなく、信号のそばにいた。そこで本を読んでいたんだ。
しばらくして、俺は信号の前、横断歩道で立ち止まっている女に気づいた。
しばらくして、見てみると、まだいた。
信号は青を示していた。
何やってんだろう。初めてそう思って、本を閉じて、眺めてみた。
女は、ただ突っ立って、信号を眺めている。
信号は、青。
俺は不思議に思って、立ち上がって、近づいた。
「あの、」
「はい?」
「信号、青なんすけど」
すると女は驚いたように目を向けて、信号を確認して、もう一度俺に目を向けた。
「いいえ?赤じゃないですか」
「え?」
俺は驚いてもう一度信号を見た。やっぱり青だった。
「いや、青ですよ」
「赤ですって」
…妙な意地もあって、しばらく、そんな問答を続けていた。
赤だの青だの、そんな問答に疲れてきたこともあり、俺と女は、並んで腰掛けた。
すると、女が語りだす。
「…私、昔、交通事故にあったの」
「自転車で走ってて、横断歩道で横から自動車にはねられたの」
「私、その信号は確かに青だったと思うの」
「でも、その運転手は違うっていった」
「車も、人も、私たち以外はいなくて」
「裁判になったわ。…そして、私が勝った」
「その人、会社もやめて、離婚をして、…いなくなったわ」
「私にお金を払って」
「…私、思うのよ」
「本当に、あの信号は青だったのかって。見間違えたんじゃないかって」
「でも、はねられたときの、あの恐怖は、…本物だから」
「だから、見間違えたんじゃないと、思うわ」
会話が途切れて、沈黙。
「…俺、もう行かなくちゃ」
「そう?…信号には、気をつけてね」
女の警告に、俺は頷いて、横断歩道を渡った。
にしても変な話。どうしてだろう。何言ってんだろう、あの女。
信号には青しかないのに。
女の目には、どんな信号も赤にしか見えない。
だからちっとも進めない。
俺の目には、いつだって、横断歩道は青になってる。
俺はいつだって前に進める。
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それが間違ってるかどうかなんて、俺は知らない。